横浜地方裁判所 昭和43年(ヨ)795号 判決 1969年6月11日
申請人 鈴木壮一
右訴訟代理人弁護士 増本一彦
同 川又昭
右訴訟復代理人弁護士 畑山穣
被申請人 石川島播磨重工業株式会社
右代表者代表取締役 田口連三
右訴訟代理人弁護士 鎌田英次
同 松崎正躬
主文
本件申請を却下する。
訴訟費用は申請人の負担とする。
事実
≪省略≫
理由
一、申請理由(一)ないし(四)の事実および被申請人が昭和四三年七月二日申請人に対し解雇の意思表示をなした事実は当事者間に争いがない。
二、そこで、本件解雇の意思表示の効力について判断する。
まず本件における試用期間の性質と解雇権の関係について検討するに、≪証拠省略≫によれば、被申請会社の就業規則第七条には「選考のうえ、適当と認めた者を従業員として採用する。ただし試用期間を三か月とする。2試用期間中、従業員として適当でないと認められたときは採用を取消す。3試用期間は勤続に通算する。」と定められていることが疏明される。右規定並に前記就業規則上試用期間満了後、改めて正規の従業員として本採用する手続に関する定めがないことに徴すれば、被申請会社が採用した従業員は、採用の日から三ヶ月間の試用期間中に従業員として不適格と認定されて解雇されない限り、三ヶ月の経過とともに当然、自動的に正規の従業員となるものと解され、従って昭和四三年六月二〇日に申請人と被申請会社との間で締結された雇傭契約は、同日から三ヶ月の期間中に申請人が従業員として不適格であると認定されたときは被申請会社において申請人を解雇することができるという解約権が留保された期間の定めのない一個の契約であると考えられる。ただ、右の如き試用期間中といえども労働者は既に雇傭関係に入り込んでいるのであるから、使用者のなす解約権の行使の前提たる従業員としての適格性の認定は恣意的であることは許されず、試用期間制度の目的に適合する合理的な範囲に制約されるものと解すべきである。前記認定の「従業員として適当でないと認められたとき」と定められた被申請会社就業規則第七条第二項の規定についても、右の見地からその適用の当否を判断すべきものというべきである。
三、そこで、被申請人の抗弁(二)の事実の有無および該事実が就業規則第七条第二項の規定に該当するか否かにつき判断する。
(一) 申請人が昭和三九年三月岩手県立一関第一高等学校を卒業し、同四〇年四月国際キリスト教大学に入学(右入学の日時の点は申請人本人尋問の結果により疏明される。)、同四一年九月同大学を中退し、同四二年四月東京芝浦電気株式会社に入社するまでの間一関郵便局に臨時雇として勤務していたこと、しかるに申請人は被申請会社鶴見工場の現業員募集に応募して提出した履歴書および身上調書の学歴の項には「昭和三九年三月岩手県立一関第一高等学校卒業」、職歴の項には「昭和四二年四月東京芝浦電気株式会社入社」とのみ記入するに止めたこと、採用試験の面接の際同工場勤労課員が昭和三九年四月より同四二年三月までの三年間の空白期間につき申請人に尋ねたところ、申請人は本籍地で農業に従事していた旨回答したことは当事者間に争いがない。
(二) ところで、労働契約は継続的労務供給関係たる性質上使用者と労働者との間の強度の相互的信頼関係に基礎付けられ、右信頼関係なくしては契約の維持はおろか契約の締結すらその実現を期しえないものであることはいうまでもない。そして、右信頼関係の中使用者の労働者に対する信頼は労働者の労働能力、技倆が使用者の求める一定水準に達しているといういわば技術的要素に限局されるものではなく、労働者の勤労意欲、性行、協調性等企業組織の構成員としての諸々の人格的要素にまで及ぶものとみるべく、既に労働者を雇傭するかどうかという契約当初の段階においても究極的には右の人格的要素に対する信頼形成の有無こそが契約の成否を決定するものなのである。従って、労働者が使用者の行う採用試験を受けるに当り使用者側から調査、判定の資料を求められた場合には、能う限り真実の事項を明らかにして信頼形成に誤りなからしめるよう留意すべきは当然であり、このことは労働契約を締結しようとする労働者に課せられた信義則上の義務であるといわなければならない。労働者が使用者から問われた経歴(最終学歴を含む。)について真実を記載しまたは申告することも叙上の観点から要請されるところである。それ故、試用期間中の従業員について経歴詐称の事実が発覚した場合において、使用者が当該労働者を従業員として不適格と認め解雇することは―詐称された事項が当該企業における当該職種の従業員の合理的採用基準に照らし重要でないとか、勤務成績が良好である等経歴詐称が使用者において右従業員との労働契約関係を維持することを著しく困難ならしめる程のものでないと認めるべき特段の事情がある場合は格別―正当として是認されるべきでありもとより試用期間制度の目的に適合する合理的範囲内の行為であるとすべきである。
これを本件についてみるに、
1 ≪証拠省略≫を総合すれば、申請人が前記のとおり履歴書、身上調書に最終学歴および職歴の一部を記入せず、三年の空白期間について事実に反する回答をしたのはその故意に出たものであることが疏明される。
2 他方、証人井上誠一の証言と本件弁論の全趣旨によれば、被申請会社鶴見工場では現業職募集において、資格として学歴を高等学校卒業以下に限る旨の表示こそしていないが、現業職は高等学校卒業以上の者は採用しない方針を堅持して今日に至っており、申請人の最終学歴が当初から判明していたならば従業員として採用しなかったであろうこと、被申請会社鶴見工場においては現業職は班長はもとより職長の大部分の者の学歴が高卒以下であるから、それ以上の学歴を有する者を右職長班長の下に配置することは労務管理上難点を生ずることが右方針の根拠とされていることが疏明される(以上の点に関し、証人田辺満喜男の証言によれば、被申請会社鶴見工場の現業職の中に夜間大学等の卒業者五名位を数えることが認められるが、同証言および証人井上誠一の証言と本件弁論の全趣旨によれば、右五名の中三名は右工場の前進である芝浦共同工業株式会社(被申請会社は昭和四二年一〇月一日上記会社を吸収合併した)時代の卒業にかかる者であり、他の二名も右合併時に在学中であったためそのまま例外的に通学させていたにすぎず、むしろ被申請会社は夜間勤務を伴う現業職について夜間大学への通学を許すことは業務体制上支障があるとしてこれを容認しない建前であることが認められるから、前記の如き夜間大学等の卒業者がいることのみを根拠にして、被申請会社が現業職は高卒以上の者を採用しない方針をとっているという前認定を左右することは許されない。)。そして、学歴の比較的に高い者が現業職の従事するような画一的な単調労働(申請人本人尋問の結果によれば、本件申請人の場合にはターニングによる切削作業)に対する耐性を欠き勝ちであり、このような者を現業職に就けても十分な作業能率を期待しえないおそれがあること一般経験上明らかであることを前認定事実と合わせ考えると、被申請会社が現業職は高卒以上の者を採用しない方針をとっていることを以て不合理と評価することはできない。そうとすれば申請人が詐称した最終学歴の点が被申請会社の現業職採用基準に照らし重要でないとは到底いいえないところである。
3 更に、申請人が昭和四一年九月から同四二年三月まで一関郵便局臨時雇として勤務した事実を被申請会社に申告しなかった点につき検討するに、右職歴は臨時雇とはいえ期間は六か月であり必ずしも短期間であるともいえず、また職歴の如何は当該労働者の職業観ないし勤労意欲、これらの根抵に存する性格等を知る好箇の資料であって、労働者がその真実を申告することが使用者側の調査、判定に不可欠とされているのが通常の事態であることを考えると、本件において申請人が前記事実を申告しなかったこともまたこれを正当視し得ない。
4 勤務成績について検討するに、申請人の被申請会社鶴見工場における勤務成績が良好であって、前記経歴詐称が被申請人において申請人との労働契約関係を維持することを著しく困難ならしめる程でないと認めるべき特段の事情あることを肯認するに足る疏明はなく、かえって申請人の同工場における勤務態度に関して次のような事実が疏明される。
(イ) 指示違反の機械操作 ≪証拠省略≫によれば、申請人が被申請会社に入社すると同時にターニング工として配属された同会社鶴見工場製造部機械工場課佐藤職区村上班にはターニング(旋盤類似の切削機械)が九台あり(その機械番号は三六六、三七〇、三七四、三七五、三六九、三六七、三六五、三七六、三七八)、申請人は班長村上照男の指示により三六六番のターニングの先手(機械操作の責任者たる親方の補助者)を勤めることになったが、同月二二日村上班長より三七〇番のターニングの応援作業を命ぜられ翌二三日午前八時過ぎまで右ターニングの徹夜作業に従事中、右三七〇番の親方がリングの外形を荒削りするため「送り」(自動的に切削している状態)をかけた後申請人が切削が終ってバイトを離し、再びバイトを元の位置に戻す際、予め親方から受けていた指示に反しテーブルの回転を一旦停止させなかったため、見回りに来た村上班長が危険である旨注意し、赤ボタンを押してテーブルの回転を停止させたこと(この点に関する申請人自ら赤バタンを押した旨の申請人本人尋問の結果部分は信用しない)、ターニングによる切削作業においてはバイトを離す時にテーブルを回転させたままですると機械や製品を破損する危険があることが疏明される。
(ロ) 無断職場離脱等 ≪証拠省略≫によれば、昭和四三年六月二五日申請人は村上班長の指示により前記三七四番および三七五番のターニング(右二台のターニングには親方はそれぞれに一人づついるが、先手は右二台に一人であった。)の応援作業に従事中一、二回持場を離れて他の従業員と雑談したり、喫煙していたため親方から注意されたことがあったこと、同月二七日申請人が前々日と同じ三七四、三七五番の応援作業に従事中、親方の作業中に椅子に腰かけていたので村上班長が注意したことが疏明される。
以上(イ)(ロ)の各事実はすべて申請人の入社後わずか一週間内に生じた事柄であり、試用期間中の従業員の勤務態度としては軽々に看過しえないものを含むといわざるをえない(以上のほか証人村上照男の証言および申請人本人尋問の結果によれば、昭和四三年六月二七日村上班長が自己の持場である三六六番のターニングのところにいた申請人に対し、三七四、三七五番のターニングの応援作業を命じたところ申請人は「またか」と言ったことが疏明されるが、右言辞をもって被申請人主張の如く反抗的であると断ずべき資料は見出せない。)。
(三) 以上を要するに、申請人が前認定のとおり故ら履歴書、身上調書に最終学歴および職歴の一部を記入せず、三年の空白期間について事実に反する回答をした事実は被申請会社をして申請人との労働契約関係を維持することを著しく困難ならしめるに足るものというべく、前記(二)に説示した特段の事情に該当する具体的事実を肯認すべき疏明は見出せない。そうとすれば、被申請会社が申請人を従業員として不適格と認め解雇したことは、前記就業規則の条項所定の要件を充たすものであって、有効とすべきであり、これを解雇権の濫用であるとする申請人の主張は採用することができない。
四、よって、本件仮処分申請はその被保全権利につき疏明がないことに帰し、右疏明に代えて保証を立てさせて仮処分命令を発するのは相当でないから、仮処分の必要性について判断するまでもなく本件申請を却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 蕪山厳 裁判官 新海順次 生田瑞穂)